3.漢方薬による肝炎と肝臓がんの治療戦略

【肝がん予防の戦略とは】

肝がんの発生を予防する根本的治療は肝炎ウイルスを体内から排除することで、その目的でインターフェロンが使用されます。インターフェロン治療により肝炎ウイルスが排除されれば発がんリスクはなくなります。しかし、ウイルス駆除に成功するのは30〜40%程度です。

インターフェロンが無効の場合には、幾つかの薬剤を用いて肝がんの発生を予防しようとする試みがなされています。その候補として、レチノイド誘導体グリチルリチン製剤漢方薬の小柴胡湯があります。レチノイド誘導体による肝がん予防効果が岐阜大学の第一内科のグループにより報告されており、その作用機序として、変異細胞の分化誘導やアポトーシス誘導などが推測されています。

発がんを促進する最大の要因は、炎症の持続によって活性酸素の害(酸化ストレス)が増えることと、細胞死に伴って細胞の増殖活性が促進されるからです。ウイルスを排除できなくても、肝臓の炎症を抑え、肝細胞の壊死と炎症の程度を反映するGOTやGPTを低い状態に維持することにより、肝がんの発生率を有意に低下できることが示されています。グリチルリチン製剤や小柴胡湯には、抗炎症作用や抗酸化作用などにより発がんを抑制することが推測されています。

日本における肝がんの原因として、最近のデータでは、C型肝炎ウイルス感染が80%以上を占め、B型は10%以下になっています。したがって、現在の日本の肝がん予防においては、もしウイルスの排除ができない場合には、炎症の程度を抑えることができれば発がん抑制が期待できると考えられます。抗炎症作用免疫調節作用を有する薬剤によって肝細胞の死を減らして細胞増殖を抑え、炎症細胞からのフリーラジカル炎症性サイトカインなどの産生を減らすことができれば、理論的にはがんは予防できます。グリチルリチン製剤の注射により肝細胞障害の指標である血中トランスアミナーゼの低下がみられます。すなわち、グリチルリチン製剤の抗炎症作用および肝保護作用により、肝細胞障害の進展を抑えて、結果として肝発がんの予防効果も期待されています。グリチルリチンという薬品は、甘草という生薬からみつけられたものであり、これは漢方薬の構成生薬のなかでも最も高頻度に使用されている生薬です。生薬の中には、甘草の他にも、がん予防効果が報告されているものが多くあり、血液循環や新陳代謝や抗酸化力を高める生薬などをうまく組み合わせて服用すれば強いがん予防効果が期待できます。

西洋医学の治療はがんが出てくるまで待って片っ端からつぶしていくという「モグラたたき」的な方法が主体になっています。肝炎の状態が続くかぎり発がんの危険性は残るため、西洋医学による定期的な診断と治療に加えて、肝機能を良好に保ちがんの発生を遅らせる有効な手段を併用することが大切です。

【複数の生薬の総合作用で肝炎を治療し癌を予防する】

慢性肝炎に対して日本でよく使われる漢方薬に「小柴胡湯(しょうさいことう)」があります。まず、これが効く理由から説明したいと思います。

小柴胡湯は、柴胡・黄ごん・人参・甘草・半夏・生姜・大棗の7つの生薬から構成されています。柴胡・黄ごんは炎症を抑える作用があり、人参・甘草は体力や免疫力を高め、半夏・生姜・大棗は消化管の働きを調整する働きがあり、これらの作用が合わさって、肝臓や肺や胃腸の病気に効果を発揮します。小柴胡湯に含まれる7つの生薬の組み合わせや量は、長い臨床経験の中で決められてきたものですが、単に炎症を抑えるだけでなく、体力をつけながら体の治癒力を高める働きが考慮されています。

西洋医学的研究でも、小柴胡湯には、抗炎症作用肝線維化抑制作用肝再生促進作用免疫調節作用発がん抑制作用がん細胞増殖抑制作用などの効果があることが判っています。ウイルス性肝炎の患者を、小柴胡湯の投与を受けた群と投与を受けなかった群に分けて追跡し、肝臓がんの発生率を比較したところ、小柴胡湯の投与を受けた肝炎患者グループのほうが、そうでない患者グループに比べてがんの発生率が低くなることを、大阪市立大学の岡らのグループが報告しています。そのメカニズムについても多くの研究が報告されていますが、小柴胡湯の肝臓を構成する7つの生薬のがん予防作用が総合的に作用して肝発がんを抑制するものと考えられています。

例えば、人参に含まれるジンセノサイドにはがん細胞の性質をおとなしくさせる作用(分化誘導作用)や、がん細胞の増殖や転移を抑制する作用などが報告され、また多糖成分には免疫力を増強して抗腫瘍効果を示すことが指摘されています。柴胡に含まれるサイコサポニンや黄ごんのフラボノイド類(バイカリン、バイカレイン、オーゴニンなど)にはがん細胞の増殖を抑制する作用が報告されています。生姜のジンゲロールにはがん細胞の転移抑制などの抗腫瘍効果が報告されており、甘草のグリチルリチンには抗炎症作用やがん予防効果などが知られています。がん予防のための機能性食品(健康食品)の研究では、生姜と甘草はがん予防効果を有する食品のトップクラスに位置づけられており、また、薬用人参によるがん予防効果も疫学的に証明されています。したがって、このような多彩な薬理効果を有する生薬の組み合わせからなる漢方薬には、複数のがん予防のメカニズムが作用するため、より効果的ながん予防効果が期待できると理解できます。

肝細胞にウイルスが感染していると、リンパ球がウイルス感染細胞を攻撃するために炎症が起こり、肝細胞が死ぬとこれがさらに炎症を起こすという悪循環を引き起こして、次第に線維化(結合組織の増加)が進行して肝機能が徐々に低下していきます。小柴胡湯は複数の生薬による多様なメカニズムにより、肝炎の進展を抑え、発がんを遅らせることができるのです。

小柴胡湯(柴胡+半夏+黄ごん+大棗+人参+甘草+生姜)による肝炎・肝発がんに対する効果

【症状や体質によって使い分ける】

漢方では患者さんの体質や病状などを総合してそれに合った薬を処方して行くことを重視しています。患者のその時々の状態に応じて漢方薬を使い分け、経過により処方を変えていくことにより最大の効果が期待できると考えています。肝炎に小柴胡湯が有効といっても、小柴胡湯がどの患者にも効くわけではないのです。

例えば、炎症の強く肝細胞の障害が著明なときには、炎症を抑える作用の強い「茵ちん蒿湯(いんちんこうとう)」のような「清熱剤」といわれる漢方薬を用います。茵ちん蒿湯は茵ちん蒿・山梔子・大黄の3種類の生薬から構成され、抗炎症作用、抗酸化作用、胆汁分泌促進作用などにより急性肝炎や慢性肝炎の炎症の強い時に使用します。

炎症が持続して体力や免疫力や食欲が低下している場合には、抗炎症作用のある柴胡・黄ごんに、人参や甘草のような補益薬(抵抗力を高める薬)と半夏・生姜・大棗のような健胃薬を同時に含む小柴胡湯が適する状態といえます。小柴胡湯のように抗炎症作用と同時に体の抵抗力を高める薬を組み合わせた漢方薬を和剤といいます。

一方、炎症の活動性が低く、体力や肝臓機能の低下した状態(=虚)であれば、人参・黄耆・白朮・茯苓などの滋養強壮薬(補益薬)を主体とした補中益気湯人参養栄湯のような補剤といわれる漢方薬を用いたほうが効果があります。これらに、さらに組織の血液循環を改善する生薬や、肝臓の解毒能や抗酸化力や免疫力を高める生薬などを、病状に応じて併用するとがんの発生を抑える効果が出てきます。

炎症があったり、肝臓の線維化が進んでいると肝臓の血流が悪くなります。このような場合には、組織の血流を良くする桃仁・牡丹皮・芍薬・桂皮などを含む桂枝茯苓丸を併用すると良い場合があります。また、ウコン、莪朮、丹参、田三七人参などの生薬には血液循環を良くするだけでなく、肝機能を改善する効果も知られています。

小柴胡湯による肝がん予防効果が明らかなのは、慢性肝炎の状態で活動性の炎症が存在するときです。このときには抗炎症作用をもつ柴胡と黄ごんの作用が中心となって炎症を抑え、がん予防効果を発揮すると考えられます。近年、小柴胡湯は肝硬変に使用すると、間質性肺炎などの副作用を起こしやすいという理由から、肝硬変への使用が禁止になりました。しかし、漢方治療の基本を知っていれば、肝硬変が小柴胡湯の適応病態でないことは容易に理解できます。肝臓の線維化が進行して肝臓の機能の低下した肝硬変は、漢方的には肝臓局所および全身状態ともに虚証の状態であり、和剤の適応状態というより、補剤や駆犬血剤の適する状態と考えられます。

肝臓だけでなく全身状態にも目を向けると、肝硬変では免疫力の低下や血液循環の障害の方が発がん要因として重要です。実際に、肝硬変の漢方治療の研究では、補中益気湯などの補剤や桂枝茯苓丸などの駆お血剤の有効性のほうが多く報告されています。さらに、抗酸化作用やがん細胞の増殖を抑える効果のある生薬を使ったり、あるいはむくみや腹水などがあるときは水分代謝を良くする利水薬なども併用して、体内環境を良好な状態に維持できると、肝がんの発生を遅らせることができます。このように、肝臓がんの予防には、肝臓内の炎症の状態や病気の進展の状況など西洋医学的な検査成績も参考にしながら、漢方の考え方も取り入れて総合的な対策を行うほうが理にかなっているといえます。

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