紀元2世紀のローマの医学者ガレヌスは「ガンは陰気なことを考える人に起こりやすい」といっています。特に乳がんの患者さんには、抑うつ的で暗い生活を送っている人が比較的多いようにも感じます。性格や精神状態とガン発生との関係を調査したでは、うつ病が乳ガンの発生率を高めることが報告されています。
ジョンズホプキンス大学の公衆衛生学部のガロ博士らは、バルチモアの約二千人の住民を13年間追跡調査して、その間に新たにガンが診断された203人について、うつ病とガン発生との関連を検討しています。うつ病がガン全体の発生率を高めることは認められていませんが、うつ病をもった女性では乳ガンになる危険度がうつ病でない人の3.8倍であるという結果が得られています。
乳がんはホルモンの影響を受けるので、抑うつ的な精神状態がホルモンバランスやさらに免疫力に影響して乳がんの発生に関与しているのかもしれません。
Major depression and cancer: the 13-year follow-up of the
Baltimore epidemiologic catchment area sample (United States). (Gallo JJ,
Armenian HK, Ford DE, Eaton WW, Khachaturian AS.)Cancer Causes Control
2000;11(8):751-758
ガンの再発予防においては、不安によるストレスをうまく対処することは極めて重要です。ストレスによって心身の調和が乱れ自然治癒力が低下すればガンの増殖が促進されます。事業の失敗や配偶者の死亡など人生上における大きな挫折や悲しみを受けたあと、気分が落ち込んで希望を失い、生への意欲を失うような人と、そのような挫折や悲しみを積極的に克服できる人とを比べると、その後にガンが発生する確率が前者のほうが明らかに高いという報告があります。仲のよい夫婦で、相手に死なれると自分にもガンが出てくる「後追いガン」の例が結構多いといわれています。生きる支えを失うということが最もガンの進行に影響するようです。
積極的な心理療法を行なうことによりガンの生存率に差が出ることが報告されています。例えば、乳ガンがすでに転移している患者を対象にガン告知後の生存率を検討した研究がアメリカのスピーゲルらのグループによって行なわれています。この研究では86人の進行乳ガンの手術後の患者を2つのグループに分け、一つのグループは何ら心理療法を行なわず、もう一つのグループには、医療側からのカウンセリングや、患者同士のディスカッションなど、ガンに立ち向かう態度をサポートするような心理療法をおこないました。その結果、平均生存率は、前者が18.9ヶ月であったのに対し、後者はその約2倍の36.6ヶ月であったと報告されています。これは、例え進行ガンであっても心理的サポートにより延命効果が得られることを示唆しています。その機序としては、不安や抑鬱や絶望といったネガティブな感情を持たないように助け合うような心理的サポートが、体の免疫力など自然治癒力を向上させるからであると考えられています。この研究では、最初の20ヵ月までは両グループ間に差がありませんでしたが、20ヵ月を超えると心理療法を行ったグループは著しく延命効果を示してきました。40ヵ月で心理療法を行わなかったグループはほとんど死亡しているのに対し、心理的サポートを行ったグループは4割が生存し、80ヵ月後にも約1割が生存していました。心理的サポートを続けると一年ぐらいで精神状態が安定してくるのに対し、行わなかったグループはしだいに精神の不安、混乱が増してくると報告されています。
精神状態の安定性の差が延命効果と関連しているようです。人は孤立していると病気になりやすいことはよく知られています。ガン患者でも結婚している人は独身者より長生きするという報告があり、患者同士で励ましあい、また人間の絆を強くすることは、人々を孤立から救い、ガンの延命にも役立つようです。ポジティブな精神状態によってNK細胞の数と活性が増進するなど、免疫力が向上することも報告されています。
独りで闘病生活を送ることは抑うつ的な精神状態にさせます。患者同士の交流や、家族や医療従事者によるサポートを行うための「患者の会」のような組織を活用することも、ガン再発の予防に有用です。笑いを取り入れたり、生きがいを持つための療法も免疫力を高めて、ガン再発予防に有効です。笑いとユーモアが無用の不安や緊張を解きほぐし、心と身の健康を守るということは常識になっています。精神神経免疫学の領域では、笑いというプラスの精神活動が、癌細胞を攻撃するNK細胞などの働きを活性化して、癌に対する抵抗力を強化することが、多くの研究にて確かめられています。
うつ病にならないこと、前向きのプラス思考を持つことは、ガンを予防し、ガンと闘うために大切なことはよく知られています。しかし、「プラス思考を心掛ける」といっても、そう簡単には実現できません。病気に直面すれば、不安がくり返し押し寄せてきます。そんな不安や死の恐怖に対峙したとき、どんなに楽天家の人でもプラス思考を持続することは容易ではありません。ガンになったという現実に直面してしまうと、だれもが不安を感じてしまうものなのです。不安と上手につきあっていくことができれば、ガンや死の恐怖に対処でき、うつ病になることもありません。そのための方法としてとても有効なのが、日本で生まれた森田療法です。
森田療法というのは、いまから約70年前に東京慈恵医大精神科の森田正馬教授が開発し、神経症の治療に成果をあげてきた治療法です。森田療法では「あるがまま」を受容して、不安や死の恐怖の「とらわれ」から抜け出すための解決法を示してくれています。ガン再発の目的で森田療法を受ける必要はないのですが、再発の不安から開放されるための方法論として参考になります。
不安や恐怖は、生きようとする欲望と表裏のものであり、人間にとって自然な感情なのです。しかし神経質でくよくよする性格の人は、不安や恐怖を「あってはならないもの」として排除しようとするあまり、かえってそれにとらわれて逆に不安が募るという心の葛藤が起こりやすいのです。森田療法では、それを『とらわれ』と言いますが、あるがままの自分を認めて生きることによって、とらわれから抜け出せ、「生の欲望」か発揮され、自己実現へと向かって行きます。
したがって、ガンの不安から開放されるための基本は、自分がガンである事を事実として正しく認識し、あるがままを受け入れることです。
ガンの治療や再発予防のために森田療法の原理を応用した治療法に「生きがい療法」があります。生きがい療法は、ガンや難病になった場合、その不安、ストレス、死の恐怖などに上手に対処し、生き甲斐をもって生きるための心理学習プログラムです。あるがままを受け入れて、できるだけ楽しい生活を送る工夫(旅行や趣味など)をして、前向きで生きがいをもった生き方がガンの予後を改善することはよく知られています。
生きがい療法実践会のホームページ参照 (https://www.harenet.ne.jp/ikigai/mori.html)
イギリスでのガンの心理療法の中心人物グリアーらによって行なわれた研究では、ガン告知を受けてから、病気の受け止め方によって死に至る経過がどのように異なるかを十数年追跡して調査しています。単純乳房切除術と予防的な放射線療法を受けた早期の乳ガン患者を対象に、ガンに対する受け止め方の違いによって4つのグループに分けて生存率を比較しています。その4つのグループとは、(A)はガンに打ち勝とうと闘争心をもって、ガンに関する情報を集めるなど前向きの気持ちを持つ態度を示し、(B)はガンから積極的に逃避するかのように、自分がガンであることを否定するような態度を示し、(C)は冷静に受け止めたが、医者にまかせる態度を示し、(D)は絶望感に陥ってしまった、というグループです。これらの4つのグループの中で、生存率は高いほうからA,B,C,Dであり、15年目の生存率は、AとBのように、闘争心あるいは積極的な拒否でもって癌に対処したグループでは45%であり、CとDのように消極的な姿勢を示したグループでは17%でした。このようにガンに真っ向から立ち向かい、希望を失わなかった人は、そうでない人に比較して生存率が高くなることは、その他の研究でも示されています。