ガンの予防と治療における発想の転換:「天寿ガン思想」と「ガン休眠療法」
診断技術の発展によって小さいガンが見つかるようになってきましたが、小さなガンを片っ端から治療の対象にすることには疑問が出されています。西洋医学の分野でも、ガンを持ったままでも天寿で苦痛なく死んでいくことをガン予防の目標とする「天寿ガン思想」や、ガンの縮小ではなくガンが大きくならない状態を目標とする「休眠療法」など、ガンとの共存を目指す治療法の重要性が指摘され始めています。
ガン細胞を体内から取り除くことを最優先とする西洋医学的な治療の限界から、このような発想の転換が求められているのです。ガンとの共存においては、東洋医学の思想や自然療法・民間療法などから学ぶべきことは多く、その他の代替療法ももっと研究する価値がありそうである。
【天寿ガン思想とは】
老衰で亡くなった方を解剖するとガンが偶然見つかるが少なくないといわれています。この事実は、たとえガンが体の中に存在していてもガンという病気が気付かれないまま天寿を向かえる事も可能であるという事を意味しています。
ガン予防の研究が進んでも、ガンの根絶は困難という認識があります。早期発見の限界や経済的、時間的、肉体的負担のため、ガンの第2次予防(早期発見・早期治療)にも限界があります。食生活やライフスタイルの改善により癌の3分の2以上が予防可能ですが、宇宙からくる放射線や環境からの発ガン物質など地球上にいるかぎり避けられない発ガンリスクの存在、酸素呼吸するかぎり回避できないフリーラジカル産生、細胞内でのDNA複製エラー、老化にともなう免疫能低下など体に内在する発ガン要因の存在により、ガンは老化に伴って必然的に発生するものとの認識に立たざるを得ません。そこで、ガンを根絶するような発想から、ガンと共存する医療の重要性が、近年唱えられるようになり、その一つが、北川知行博士(癌研究所所長)らが提唱している天寿ガン思想です。「さしたる苦痛もなく、天寿で死亡して、解剖してみたらガンがあった」というような、超高齢者のガン死は自然死といってもよいという考えです。
昔は、超高齢者がガンで死ぬことは稀といわれてきました。ガンになりやすい人は若いうちにガンになって死亡し、ガンになりにくい人が天寿を全うできると考えられていました。しかし、最近では超高齢者におけるガン死亡数は着実に増えてきています。その理由として、1)ガン以外の病気で死ぬことが少なくなった、2)生活環境の改善によりガン発生の年齢が上方へシフトしてきた、3)ガンの早期診断や治療の進歩による延命効果により、高齢者のガンが増えた、4)病院で死ぬ高齢者が増えたため、ガンの診断率が上昇した、などが挙げられています。いずれにせよ、ヒトは長く生きるほど発ガンのリスクは高くなり、「ガンは長生きの税金」であるという受け止めかたが天寿ガン思想の根底にはあります。すなわち、ガンは老化に伴って必然的に起こるという認識が背景にあるのです。
「超高齢者のガンで、さしたる苦痛もなく死亡するもの」が天寿ガンの定義とされていますが、超高齢者(advanced
age)の範疇としては、平均寿命を10%超えた年令を目安にして、男性85歳以上、女性90歳以上とされています。
北川らの考えによると、超高齢者のガン死は他の病気で死ぬよりpositiveにとらえられるそうです。高齢になって死ぬ場合、突然死を望む人もいますが、死ぬまでに人生を締めくくるための猶予期間があるという点で、ガン死を望む人も多いようです。このような人にとっては、もしひどい苦痛がないのであれば、ガンは死因として理想であると受け入れられるようになりました。老人性痴呆や重度の麻痺をもってベッド上に長く生きて、家族や社会にとって負担となり、場合によっては悲惨な状態になるよりも、限られた期間で死ねるガンの方が、天寿を全うした超高齢者の死因としては理想だという考え方です。
天寿ガンと診断できるときは、攻撃的は治療は有害であり、何もしないことがベストであるとされています。現時点では、ガン患者に何も治療を行なわないことに対しては、患者やその家族が反対することが多いのですが、天寿ガン思想が広まれば、そのような考え方も次第に理解されるかもしれません。これからの高齢化社会においては、小さなガンを片っ端から手術や化学療法で取り除くような治療法は問題があるという指摘もあります。さらに、緩和医療の進歩により、癌の痛みからの解放が可能になると、典型的な天寿ガンではないが、天寿ガンに近い準天寿ガン状態も増えると予想されます。ガン手術後の再発や転移であっても、部位によっては、準天寿ガンを目標にできます。すなわち、天寿ガンや準天寿ガンに向かわせるような新しい治療法の開発が今後重要になるようであり、その目的には漢方治療など東洋医学的方法の積極的な活用も考慮されるべきです。
ガンは遺伝子の変異の蓄積により次第に悪性度を増していくという多段階発ガンのメカニズムから、環境や食事から発癌要因を減少させ、かつ発ガン物質の作用を消去するようなものを摂取することにより、プログレッションの程度を抑えることが可能であることは容易に理解できます。これにより悪性度の低い、つまり分化度の高いガンのままであれば、体積倍加時間も長いままであり、天寿までガンをもったままで生きていくことは理論的に可能といえます。例え体内にガンがあっても、それが臓器の機能障害を引き起こすほど大きくなるまでは生命に危険はありません。したがって、ガン細胞の増殖を抑えながら、微小ガンからのガンの進展を遅延させれば、たとえガンの転移や再発があってもガンと共存しながら天寿を迎えることも可能です。
文献: The concept of Tenju-gann, or "natural-end cancer". Kitagawa T, Hara
M, Sano T, Sugimura T. Cancer 83(6):1061-1065 (1998)
【ガン休眠療法とは】
ガン治療の一つの考え方として、Tumor Dormancy
という概念が最近討論されるようになりました。Dormancyというのは休眠とか休止という意味で、ガン細胞の増殖を停止させて腫瘍を休眠状態にもって行こうという治療法で、「ガンとの共存」を目指す手段といえます。この方法はまだ研究段階ですが、方法としては、ガン組織を栄養する血管が新たにできるのを抑える方法、ガン細胞の増殖を刺激する蛋白質の働きを抑える方法、低用量の抗ガン剤投与などが検討されています。しかし、西洋医学の対象はあくまでガン細胞の増殖を抑制することであり、体の免疫力や抵抗力を高める視点については、あまり議論されていません。
術後補助化学療法は主に臨床的に検出されない微小な転移を対象にしています。小さな転移はそのままであれば、その存在自体はなんら体に悪影響を及ぼしません。したがって免疫力を犠牲にしてまで化学療法を強力に行なうという考えは必ずしも正しいとは言えません。ガンの縮小のみを考えて高用量の薬剤を投与すると、免疫力や治癒力が低下してかえってガンの増殖を早めたり、体力がなくなって命を縮めることがあります。ガンの転移や再発の抑制とは、微小な転移をできるだけ長期間微小のままにしておくことにあります。これには腫瘍縮小効果を主眼とした強力な抗ガン剤投与よりは、むしろ免疫力を障害しない範囲でガン細胞の増殖を抑制する方法のほうがより延命効果があることが最近の研究で指摘されています。
漢方治療で使われる生薬の中には、ガン細胞の増殖を抑制する成分、免疫機構を活性化する成分、ガン進展の促進要因である酸化ストレスを軽減させる成分などが多数含まれており、ガン細胞の増殖を静止させ休眠に持っていく手段の一つとして極めて有用です。
文献:Tumor Dormancy Therapy 癌治療の新たな戦略:高橋豊、医学書院 2000年
【ガンとの共存は東洋医学の思想と一致する】
ガンは老化に伴って必然的に起こるものであり、ガンを持ったままでも天寿で自然死するのが、ガン予防の目標であり理想であるという考えは自然の摂理に従って生命を生かしきる道をさぐる東洋思想とも一致しています。ガンを支配するのではなく、ガンと共存する道を探るという発想の変換が求められており、そのためには、ガンという病気を診る西洋的発想ではなく、「ガンを持った人を診る」という東洋的発想も大切です。
ガンは体の局所だけの問題ではなく、心と体と環境などが総合的に関連して発生する全身の病気です。ところが、分子生物学が華やかに展開され、発癌のメカニズムが分子レベルで理解されるようになると、ガン研究はガンをもった人間側の問題を忘れて、ガン細胞の研究に絞られるようになってきました。
天寿ガン思想や休眠療法は、人間側の問題により目を向けた発想であり、「病気を診る」というより「病人を診る」という視点を重視する東洋医学の思想と一致すると思われます。ガンの予防や治療において、西洋医学だけでなく東洋医学などの代替医療を組み合わせた統合医療が必要とされる理由も、この点にあるといえます。
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